展覧会「アンドレ・スタイナー。欲望と克服の間の身体」展(ユダヤ美術・歴史博物館にて

発行元 Communiqué Sponsorisé · 掲載日 2024年5月13日午後04時27
カルチュラル・オリンピアードの一環として、1930年代にパリでその才能を発揮したハンガリー生まれの写真家アンドレ・スタイナー(フランスにおけるスポーツ写真のパイオニア)の展覧会をユダヤ美術・歴史博物館で開催します。

アンドレ・スタイナーは、後に妻となる人物と、彼が愛したスポーツへの情熱から写真の世界に入り、戦時中のパリで動く裸体を撮影することでその才能を表現した。

1901年ハンガリー生まれ。1924年、名門ウィーン工科大学で科学者養成の一環として与えられたライカを最初に手にした一人。後に妻となるレア・サッソン(通称リリー)のヌードを撮影。1928年、オーストリアで反ユダヤ主義が台頭したため、ウィーンを離れパリへ向かう。

音響技師としての仕事を放棄したアンドレ・シュタイナーは、写真に専心することを決意し、その可能性を最大限に追求した。シュタイナーはスタジオを開設し、報道機関と幅広く協力した。

1928年の世界大学大会の十種競技のチャンピオンであり、ウィーンのユダヤ人スポーツクラブ「ハコア」(ヘブライ語で「力」)の水泳コーチでもあったアンドレ・スタイナーは、パリで、まだほとんど研究されていなかったスポーツ写真に専念する。彼は、動きのある身体とヌードのスペシャリストとなった。共産主義の理想を支持し、1919年にはハンガリーで短期間開催された評議会共和国に参加した。1930年代、この道徳的な身体観はVUにも共有され、アンドレ・スタイナーはVUでスポーツやダンスの写真を撮り、同誌の特徴的なスタイルの形成に貢献した。

1939年、写真家はフランス空軍に入隊。1940年に復員し、ユダヤ人であり外国人であることを脅かされ、パリから南フランスに移り、レジスタンスに参加する。戦後、フランス国籍を取得。パリに戻り、技術や科学に応用する写真を専門とした。

カルチュラル・オリンピアードの一環として開催される本展は、シャロン=シュル=ソーヌのニセフォール・ニエプス美術館とポンピドゥー国立近代美術館からの特別寄贈により実現した。

実用的な情報

開催日および開催時間
から 2024年5月16日 へ 2024年9月22日

× 営業時間の目安:営業時間の確認は施設にお問い合わせください。

    所在地

    71 Rue du Temple
    75003 Paris 3

    アクセシビリティ情報

    アクセス
    地下鉄11号線「ランビュトー」駅

    料金表
    Tarif enfant -18ans: 無料
    Tarif jeune -26ans: €5.5
    Tarif réduit: €7.5
    Tarif plein: €10.5

    公式サイト
    www.mahj.org

    Instagramのページ
    @mahjparis

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