パリで最も 古い時計は、シテ島にあるシテ宮の時計で、1370年にシャルル5世が宮殿の北東の塔のために注文した。アンリ・ド・ヴィックが設計し、1371年に設置された。この時計はパリで最初の公共時計とされ、フランス君主制がその王権機能を主張し、教会から解放されたことの象徴であった。
実際、この時計ができる以前は、教会だけが時を告げていた。当時のパリ市民は、教会の鐘を頼りに時間を把握していた。この時計は、王の時刻を知らせるという歴史の転換点を示している。この時計は、君主制と国家が教会の権力から解放されたことを象徴している。
アンリ2世、アンリ3世、アンリ4世によって装飾が加えられた。ヘンリー3世は文字盤を追加した。現在の文字盤は、ルイ14世時代の1686年に作られた時計の設計図を基に、1849年に再建されたものである。
シテ宮の時計機構は何度か修復されており、最近では2011年から2012年にかけて修復された。この修復は、スイスの時計製造会社ユリス・ナルダンによって行われ、1852年に作成された時計の正確な記述をもとに、元の外観に戻す作業が行われた。
時計の四角い文字盤は、フルール・ド・リスや炎の光線といった王室のシンボルで飾られている。寓意的な人物は法と正義を表している。文字盤の上には、同じくフルール・ド・リスで装飾されたフランス王家のマントが乗っている。
シテ宮の時計は、シテ宮の一部であったコンシェルジュリーの塔の一つに設置されている。この塔は、百年戦争の際に宮殿の防御を強化するため、ジャン2世・ル・ボンの命により1353年に建てられた。高さは47メートルで、頂上には鐘楼とランタンがある。
今日、シテ宮の時計はパリを象徴するシンボルのひとつとされ、人気の観光スポットとなっている。また、街の歴史と時計製造技術の発展の証人でもある。