第4区のこんなに細い道が、どうしてそんな名前になったのだろう。悪戯坊主がたむろしていたとか、旅路を狙う盗人の一団とか、さらには陽気に仕切る仲間の姿を思い浮かべてしまう。しかし実は、この路地の名の由来は、ヴェイユ・パリ時代の名残をとどめるものだ。現在の通りはサン=ジェルヴェ区にあり、リヴォリ通りとヴェリエール通りの間に位置する、マレの中でも古い道だ。はじめはrue Chartronと呼ばれており、16世紀にはrue Chartron dite des Mauvais-Garçonsと称され、やがてはただrue des Mauvais-Garçonsとなった。名の由来にはいくつかの説があり、私たちが解説する。
この通りは、現在の名称がつく前からすでに評判が芳しくなかったとされている。Dictionnaire administratif et historique des rues de Paris(ラザール兄弟著)は、ルイ7世の治世下ですでに存在し、名を Chartron 通りと呼んでおり、1300年には娼婦が居住していたと記している。これに対し、Le Dit des rues de Paris(ギュイヨ・ド・パリ著)も、エドガー・マルーズの解説版において、この中世の通りがその人口と結びついていたことを改めて示している。
歴史家の間でよく取り上げられる説明の一つは、フランソワ1世の治世に起きた混乱の時期を指す解釈だ。ラザール兄弟は、王の捕虜となっていた頃に「パリを悩ませた」連中がこの通りにその名を与えたと記している。ジャック・ヒラレ(Jacques Hillairet)は別の仮説を挙げており、名前の由来は16世紀にこの通りに住み着いたgarçons bouchersたちが、街での騒乱を象徴していたとされる、というものだ。
時代を経てこの通りはさらに姿を変えた。近くに類似の名を持つ別の通りがあったため、rue des Mauvais-Garçons-Saint-Jean という名で区別されてきた。19世紀にはリヴォリ通りの開削に伴う改変で一部が削られたが、それでも名称は生き残った。
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