ご存知でしたか?セーヌ川に3つの島があった頃:イル・ルヴィエ、消えたシテの群島

発行元 Graziella de Sortiraparis · 写真: Graziella de Sortiraparis · 更新日 2025年8月26日午後04時47 · 掲載日 2025年8月25日午前11時49
シテ島とサン・ルイ島には、かつて3つ目の島、ルーヴィエール島がありました。都市開発に飲み込まれる前のこの島の歴史を知ることで、パリが長い間、川沿いの移ろいやすい群島であったことを思い出してください。

シテ島とサン・ルイ島は、首都の中心部、セーヌ川に浮かぶ2つの美しい島である。しかし、中世には すぐ隣にもう一つの島があり、川岸に加わっていたことをご存知だろうか。15世紀、パリ商人のプロヴォストであったニコラ・ルヴィエに割譲されるまでは放牧に使われていた荒れ地で、その名の由来となったこの島は、砂と泥の山である「ジャヴォー」にちなんで「ジャヴォー島」とも呼ばれている。

弩弓兵の訓練場であったこの島は、その後、ヘンリー2世が攻城戦や海戦のショーに参加する砦となり、1700年にパリ市に買収され、木材商に貸し出され、薪などを保管していた 。建物を建てることはできたが、実用的な空間、野外倉庫として使われた。その運命が変わったのは19世紀に入ってからで、1841年から1847年にかけて、技術者たちがセーヌ川の右岸から切り離した部分を埋め立てることを決定した。こうしてルーヴィエール島は本土に接することになった。

現在は、現在のモーランド大通りとアーセナル港の入り口に沿って走る遊歩道になっている。たとえ上空から見ることができても、自分がセーヌ川に浮かぶかつての島にいることを想像するのは難しいしかし、この失われた土地は、パリが長い間、セーヌ川の支流と都市開発によって形作られた、モザイクのように移り変わる島々であったことを思い起こさせる。

さらに、シテ島自体はまとまったものではなく、ジャック・ド・モレーの処刑をはじめとする公開処刑で悪名高い西のジュイフ島、製粉所があり1607年にアンリ4世の時代に合併してドフィーヌ広場となった北のグールデーヌ島、下流のパスール・オー・ヴァッシュ島など、小さな不安定な小島に囲まれていた。

実用的な情報
Comments
絞り込み検索
絞り込み検索
絞り込み検索
絞り込み検索