150年以上前から、セーヌ川の氾濫の程度を一目で判断できる人物がいることをご存知だろうか。アルマ橋の下にある石像で、何十年もの間、パリの川の水位を測るために使われてきたのだ 。
1853年から1856年にかけて ナポレオン3世が指揮したクリミア戦争に参加した兵士を象徴する4体の像の一部で、 アルマ橋にあるズアーブ像はフランス人彫刻家ジョルジュ・ディボルトの作品である。1856年にアルマ橋の下に設置され、右岸に残っているのはズアーブ像のみで、シャスール・ア・ピエ像、アルティルール像、擲弾兵像は1970年代初頭に橋が拡張された際に移された。
ズアーヴのモデルとなった兵士の出自については、いまだに議論の余地がある。アンドレ=ルイ・ゴディ、あるいはネリゴあるいはベリゾという名のブルトン人であったかもしれない。彼は、第二帝政期の戦い、特に1854年の ラルマの戦いに参加するために招集された南アフリカ人兵士、ズアーヴの伝統的な制服を着ている。 、頭蓋骨にねじ込まれた有名なフェズ、ボタンのない上着、ぶかぶかのブリーチズとレギンス。
では、ズアーブと セーヌ川の氾濫にはどのような関係があるのだろうか?前世紀初頭から、ズアーブが水に足を突っ込むとセーヌ川が氾濫すると言われてきた! 1910年の有名な 洪水では、セーヌ川の水位が8.62メートルまで上昇し、ズアーブは肩まで水に浸かった!
しかし、1970年代に橋が再建されて以来、ル・ズアーブの意見はもはや疑う余地のないものではなくなった。実際、像は移動され、アルマ橋の橋脚の上か下に置かれた可能性がある。しかし、 パリの伝統は生き続けている!



















